青年期その2
自分が何をしたいのか分からないまま時は流れて高校生
中身は何も成長していないので引き続き小学生のままです
周りのヤンキー達は本能と欲望に歯止めがきかず暴走する子と、社会のルールに順応する意思を見せ学校へ通う子と進路が別れてゆきました
私はそもそもエネルギーを発散していないのでブレーキかけながらアクセル踏んでる状態で誰かに言われるがまま高校へ進学しました
中学時代真面目に積み重ねてないから入れる高校は当然不良校でそこに通う学生はほとんど不良でした
幸い私はヤンキー属性だったので小学生並みのコミュ力でもみんなと仲良く過ごせました
高校に入ってヤンキーはダサいという価値観に飲まれてオシャレするようになって、髪型や服装アクセサリーなどに気を使いつつ注意してくる先生との攻防戦の日々
毎日友達と遊んで、恋愛に夢中になったりそれなりの学生時代と言うか、結構楽しく過ごしておりました
幸運にも有名な彫刻家を師匠にもつ美術の先生に目をかけてもらって美大現役で入れる才能だと褒められて放課後毎日練習しようと提案されたけど、ちゃらんぽらんな子供の私は友達や恋人との時間を優先してしまうという愚行を犯したのもこの頃です
今思えば高校時代が一番エネルギーに満ちていたかもしれません
だけど満たされない心、ふとした瞬間感じる虚しさの原因はまだ分からなかった
青年期
やってきました思春期です
中学生になると精神の発達段階に明らかな差を感じはじめます
勉強・スポーツ・友達との交流もステージが上がります
私は言われるがまま中学へ行っているだけの中身は小学生
なので周りとの違和感をひしひしと感じ、ネガティブな感情をせっせと育みました
充実している友達と自分は何が違うのか問うてみても分からないし、そもそも深い思考なんてできやしなかった
自分の課題に気付けないし理解出来ないから問題に対処する事も出来ずどんどん恥ずかしくなっていった
とりあえず現実が恥ずかし過ぎてゲームとか漫画に集中して現実から目をそらしてた
そうこうしているうちにスクールカーストでは底辺通り越してヤンキー属性になっていた。勉強嫌いな子、家庭環境が悪い子、劣等感と抑圧を抱えた友達と一緒に居ると共感できて孤独を忘れる事が出来た。すごく安心した
周りは欲望や好奇心や反抗心をむき出しにしてエネルギーを存分に発散していて羨ましかった
ヤンキー属性だけと無茶出来ない理由があって、私の場合は家庭が荒れている訳ではなく、親子のコミュニケーションが不足していて信頼関係が無く支配的な家庭だった。親に心配や迷惑をかけたくない気持ちとは別に、家族に逆らったら二度と家には帰れないし14歳が1人で生きて行く事など出来ないと思っていた。
自分のやりたい事も分からなくなるぐらい家族に心を支配されていた
学童期その2
学習意欲を無くして授業は上の空、まったく興味が湧かない授業は退屈だった
両親が仕事から帰るまで家には帰らず、友達の家を点々として時間をつぶす毎日
当時友達のお宅訪問が趣味で、数十人の友達の家に訪れては他愛のない時を過ごしていた
自分はダメな人間なので本心を見せたら恥ずかしいと思っていて人前では常にふざけてピエロを演じてた
小学校3年生ぐらいになると厳しい担任から母へ連絡が入り、学習意欲が低い事を注意された。それを聞いた父から私へ伝言ゲームのように伝わってきた
私は母を悲しませたくなかったので自宅学習のスケジュールを計画し母に見せたが反応はなかった(フーンみたいな)
そんなこんなで無事勉強なんかしてやるものかの精神を授かった私だったが、2つ得意な事があった、それは人を笑わせる事と絵を描いたり物を作る事だった
市のコンクールに入賞して作品が展示されたので母に見に行こうと言ったが家族で見に行く事はなかった。なんでぇ…(涙)と思った
全校朝礼でガチの賞状を貰っても褒めてくれる事はなかった。2度目のなんでぇ…(涙)。それ以降は賞状を貰っても誇れる物ではないと学習しており、慣れた手つきで押し入れにブチこんでた。数えた事ないけど結構な枚数
その頃から家に居てもつまらなく感じて家族とのコミュニケーションも少なくなり週末は近所の仲の良い友達の家に泊まる事が増えた
友達の家は優しいお母さん、ユーモアのあるお父さん、頼れるお兄ちゃんと理想の家族だったのだがそれが良くなかった、自分の家族と比べてしまって不満や孤独がどんどん大きくなっていった
なんかやばそうなフラグびんびん感じております
学童期
無事完全なる野生児として卒園し小学校入学を迎える
1年生クラス分けのテストや授業が簡単過ぎて入学当時小学校を完全に舐めていた私
周りの友達も何も分からない赤ちゃんみたいだと思ってた
親から勉強についていけなくならないようにしなさいと心配されていたが、「あんな低レベルな授業が分からくなる事などありえない」と返答する生意気なヤツだった
この当時の写真を見ると笑顔から自信が溢れていて別人のようだ
ところがここから雲行きが怪しくなってくる。思い出す記憶もネガティブな事が多くなる。私の純粋な笑顔は小学校一年生以降見る事はなくなった
まず両親は父の実家敷地内に戸建てを新築し共働きを始めた為、学校が終わってから両親が帰ってくるまで兄と二人で過ごす事になった
この兄が強烈だった。おやつが無いと3キロぐらい離れた店にお菓子を買いに行かせるなどあれこれ注文し、言う事を聞かないと暴力を振るわれ毎日泣かされた
そんな兄と二人きりになりたくなくてランドセルを物置に置いて友達の家に遊びに行った事があった、家に帰ると不躾に兄がランドセルの中を見ろと言ってきた。物置にランドセルを放置すると教科書が破れると言われ、教科書を確認すると数ページ破れていた。配られたばかりの真新しい教科書が破れている事にショックを受けそれ以降物置に置く事を辞めた
この教科書破れ事件は兄から親には言うなと口止めを受けた為言わなかったが、口止めするという事は兄が破ったのだと確信していた
この兄の理不尽な行動により距離をおいていたが次々と新たな事件が発生する
掛け算九九暗記事件である
小学校の授業が簡単で舐めきっていた私は予習復習という概念を持ち合わせておらず九九の暗記につまずいた
8の事を”パ”とかランダムに発音する事に混乱していたのだが当時その原因は分からなかった。母へ九九の練習を手伝って欲しいと伝えたがフルタイムの仕事と家事で疲弊しており、兄に教えてもらえと言われた。絶対ロクな事にならないと確信があった
私は極力兄に関わりたくなかったが仕方なく兄に九九の暗記を手伝ってもらったのだが、兄は九九が暗記出来ない私に対して、思いつく限りの屈辱的で差別的な言葉を浴びせ続けた。私が泣こうがわめこうが兄の攻撃は終わらなかった
そのとき私の健全な自尊心は破壊され、勉強や課題に対して取り組む意欲を無くしてしまった
幼児期
幼少期から振り返る形で自己を分析する
まずは覚えている最も古い記憶からたどってみる
2歳(当時の住居などから推測)指しゃぶりを矯正する為、タバスコをしみ込ませたガーゼを左の親指に巻かれた
冒頭からかなり強烈な体験だが事実だ
両親は若く、まだ経験や判断力が未熟だったのだろう
指しゃぶり矯正も怖かったが、父が機嫌が悪くなると怖いという感覚がある
幼い自分にとって不安定な環境の象徴になっていた
一方で、木漏れ日の中で布団に寝ている時の安心感を覚えている
静かで安全な場所、自分だけの小さな安らぎだった
微かに揺れる光やぬくもりといった感覚が、安心の象徴になっている
母が安心の象徴ではない
母の実家付近から父の実家へ引っ越した為保育園が変わった
都会的から田舎的に環境変化があったがすんなり適応した
動物を沢山飼育している保育園だった
体操や散歩より粘土遊びや絵を描く事が好きだった
粘土でA4サイズの街を作った。高架道路やビルや植栽があり車も走っていた
超大作だったので崩すのが惜しくなり布団をしまう場所に隠したが怒られた
あの時の布団と粘土の混ざった臭いを鮮明に覚えている
粘土で作った型に和紙を張って鬼のお面を作った
保育士に褒められたが家に持ち帰り色を塗る工程で兄がしゃしゃり出てきた
混じりけのない濃厚な青で塗られてしまったが私は淡い色にしたかった
兄の作品となったお面を保育士に見せたが仰天しストレートに失望された
夜に大雪が降った翌日初めて見る壮大な景色に興奮した
普段は保育園まで歩いて10分だったがその日は雪だるまを転がしながら向かった
雪だるまに夢中になって数時間かかった為、事故に巻き込まれたと大騒ぎになった
保育士のハシバという信用出来ない大人がいた
2~30代の女性で良く怒られた
プールに裸で入る事が恥ずかしかったので仮病を使ったら顔を近づけて追及された
夏場だったので鼻の下に粒上の汗をかいていたその顔は怖かった
母が作ってくれた麦茶には大量の砂糖が入っている。私にとってそれがスタンダード
ある日みんなでお昼を外で食べていた時、ハシバが麦茶をご所望してきた
私は快く母の麦茶を提供した、一口飲んだハシバは不快な表情をして吐き出し
私の目の前でコップに入った母の麦茶を地面に捨てた
このような倫理観に乏しい人間は保育担当者に相応しくないと子供心に痛感していた
ちなみに青鬼のお面に失望感をあらわにした保育士も当然ハシバであった