学童期

無事完全なる野生児として卒園し小学校入学を迎える

1年生クラス分けのテストや授業が簡単過ぎて入学当時小学校を完全に舐めていた私

周りの友達も何も分からない赤ちゃんみたいだと思ってた

親から勉強についていけなくならないようにしなさいと心配されていたが、「あんな低レベルな授業が分からくなる事などありえない」と返答する生意気なヤツだった

この当時の写真を見ると笑顔から自信が溢れていて別人のようだ

ところがここから雲行きが怪しくなってくる。思い出す記憶もネガティブな事が多くなる。私の純粋な笑顔は小学校一年生以降見る事はなくなった

まず両親は父の実家敷地内に戸建てを新築し共働きを始めた為、学校が終わってから両親が帰ってくるまで兄と二人で過ごす事になった

この兄が強烈だった。おやつが無いと3キロぐらい離れた店にお菓子を買いに行かせるなどあれこれ注文し、言う事を聞かないと暴力を振るわれ毎日泣かされた

そんな兄と二人きりになりたくなくてランドセルを物置に置いて友達の家に遊びに行った事があった、家に帰ると不躾に兄がランドセルの中を見ろと言ってきた。物置にランドセルを放置すると教科書が破れると言われ、教科書を確認すると数ページ破れていた。配られたばかりの真新しい教科書が破れている事にショックを受けそれ以降物置に置く事を辞めた

この教科書破れ事件は兄から親には言うなと口止めを受けた為言わなかったが、口止めするという事は兄が破ったのだと確信していた

この兄の理不尽な行動により距離をおいていたが次々と新たな事件が発生する

掛け算九九暗記事件である

小学校の授業が簡単で舐めきっていた私は予習復習という概念を持ち合わせておらず九九の暗記につまずいた

8の事を”パ”とかランダムに発音する事に混乱していたのだが当時その原因は分からなかった。母へ九九の練習を手伝って欲しいと伝えたがフルタイムの仕事と家事で疲弊しており、兄に教えてもらえと言われた。絶対ロクな事にならないと確信があった

私は極力兄に関わりたくなかったが仕方なく兄に九九の暗記を手伝ってもらったのだが、兄は九九が暗記出来ない私に対して、思いつく限りの屈辱的で差別的な言葉を浴びせ続けた。私が泣こうがわめこうが兄の攻撃は終わらなかった

そのとき私の健全な自尊心は破壊され、勉強や課題に対して取り組む意欲を無くしてしまった